小学生のときの自分と再会していた 2024
今年はどんな日々だったかな〜と考えてみて。なんだか 2 周目の小学生をやったような感触が残っているので、その話を書いておきたい。
まず背景を共有する。去年から下記ふたつの取り組みを始めていて、小学校や小学生に関わる機会が多くなったのだった。 居住地域である長野県松本市の公立小学校に、学習支援ボランティアとして通っている オンラインのフリースクール『コンコン』のソフトウェア面を技術支援している 現在、たまにいっしょに遊ぶくらいの距離感の小学生の友人が 20 人くらいいる。もともと「友人のお子さん」と遊ぶ機会はたまにあったけれど、それは「ぼくが友人と会う」のついでに「お子さんと遊ぶ」も副次的についてきたのであって、直接的なつながりではなかった。これを書いている週には、近所の小学生がうちに遊びにきてくれたし、また、遠方にいる小学生とボイスチャットをつないで Core Keeper をオンラインプレイする時間もあった。そんな最近。 小学校でのボランディア活動では、教室に入って授業の進行をサポートさせてもらっている。担任の先生がメインで授業を進めるので、ぼくはサポート役。児童たちからの質問に答えたり、教室を飛び出してしまう児童がいれば担任の先生に「ぼくが追いかけますね」と合図して校内をあちらこちらに移動したり。 休み時間になれば、ありがたいことにいつも「じゅんせんせい、なにしてあそぶ?」と誰かしらが話しかけてくれるので、孤立することなく過ごせている。鬼ごっこをやることが多くて、ぼくが鬼を担当している時間はけっこう長い。グラウンドでサッカーをやったこともあった。超ロングシュートを決めた日は、児童たちからやたら慕われておもしろかった。 児童たちの間のトラブルの仲裁をやることもあれば、恋の相談を受けることもある。飛び掛かってくる児童をキャッチしておんぶしたり、手を引かれて校内を連れ回されたりもしている。筆記試験中に「せんせい、しつもん!」と呼ばれていったら回答を聞き出そうとしてくる輩がいて「それは答えられないね😂」とたしなめたりもする。
たまに、児童たちがやらかしてしまって担任の先生に叱られる時間がある。教室で同席させてもらっているぼくは、必ず「叱られている側」の気分になる。担任の先生の側に立って「先生の言う通りだぞ、わかったか?」となったことは一度もない。だいたい 30 年前に自分が小学生をやっていたころの、先生に叱られたときのバツの悪い感覚を思い出す。体のまんなかから重たい感覚がせりあがってきて、息が詰まる。あの時間、ぼくは叱られているのだと思う。
今年度ぼくがよくお世話になっている 4 年生の学級は、ぼくから見るととってもスマートで、たしかに盛り上がりすぎて騒がしくなっちゃうときはあるものの、叱られるとしても、ぼくの価値基準でいえば「そんなに悪いことはしていない」んだよな。それと比べると、新任の若い先生になめた態度を取ってしまったあのとき… 習字の授業で「ゆめ」と書くところをイキって「夢」と書いていたらそれを真似した同級生の工藤くんが先生に怒られて泣いちゃったあのとき… 休み時間の終了間際にわざとサッカーボールを高く蹴り飛ばしてフェンスをこえさせて「取りに行ってきます」という体裁で授業をサボっていたあのとき… などなど、まあ別に極悪ってほどではないものの「なんでそんなことを?」な言動を繰り返していた自分の小学生時代を次々に思い出して複雑な気持ちになる。
成人して以降はほとんど思い出すこともなかった小学校のときの記憶が、どんどん呼び覚まされる。怖いけどおもしろい。
4 年生の教室でさ、教員免許も持たないままにうっかり「じゅんせいせい」と呼ばれる立場になっているけれど。自分はぜんぜん立派な存在じゃないし、小学校 4 年生のときの自分のゴーストがこの教室にもいるような気がして、自分だったらこのクラスのどのグループに属しているかな?誰となかよくしているかな?休み時間はどんなふうに過ごしているかな?と考えてしまう。不思議な感覚だけれど、過去の自分が現在にいるんだよね。
この学級には、とにかく困っている人を助ける空気がある。たとえば国語の授業で、教科書に載っているテキストを児童たちが順番に読んでいくとき。たまにね、自分がどこから読めばいいかわからなくて迷子になっちゃう人もいるでしょ。そんなときは近くの席の児童たちが「わかる?」「だいじょうぶ?」「ここからだよ」と声をかけてすぐに解決する。この人たちにとって、クラスメイトと助け合うのは当たり前のことになっている。ぼくが小学校 4 年生のとき、こんなふうにかっこよくふるまえていたかな。なんだったら今だって、あれこれ考えてしまって手が伸びないときがある。自然と誰かを助けてしまえる彼女ら彼らを本当に尊敬している。
プライバシーの観点から児童たちを写すわけにはいかず、思い出がいっぱいあるわりには写真がぜんぜんないのだけれど。手元にあったわずかな写真のうちの一部を紹介する。ぼくから学校に寄贈させてもらっている書籍たちとか、壁に貼られている小学図書館ニュースのすしらーめん《りく》の回とか、児童に貸してもらったうさぎのおもちゃとか。 https://gyazo.com/1dbc292b4e619cab6bf5c062b91a0c2dhttps://gyazo.com/dc5b4ac03a8da41ff82b1add4adb626d
https://gyazo.com/9dd09d640dbb7e94004031ae27582d26https://gyazo.com/55ed974f7f14b9c0b82ea6434f7672fa
https://scrapbox.io/files/675c3f1a3a97dc9a3ec82eea.webp
ここから「オンライン・コミュニティを立ち上げたいと思っているのですが、なにから始めたらいいかわからなくて〜」と相談を受けて、ありがたいことにオンライン・コミュニティの立ち上げに関わらせてもらえることになった。今週も「コミュニティの次の形」について相談していて、良好な関係が続いている。楽しい。
ほんで今は、フリースクールのコンコンに通っている生徒さんや、コミュニティで出会った仲間たちのお子さんとの接点がたくさんある。ぼくがお話をしたことがあるのは、下は 1 歳から上は中学校 3 年生までかな。ボリュームゾーンは小学生。日本の不登校問題に強い関心を寄せた人々で構成されているコミュニティなので、子育て当事者も多く、お子さんの話をよく共有してくれる。 小学校・中学校に行かない選択をしている当事者たちもけっこういる。これはコミュニティの人たちにはすでに白状したんだけど、ぼくね、学校に行っていない小中学生ってのは「暗い」っていう先入観を持っていたのよ。なんか暗くて、人と話すのが苦手だったりして学校に行けていないのかなって。でもぜんぜんそんなことはなかった。「フルタイムで学校に通えている・いない」ってのと「明るい・暗い」ってのはそんなに関係なさそう、ってのが彼女ら彼らと話してみての印象。知らないことで勝手な先入観を持っていた自分を怖いと思った。知れてよかった。
コミュニティの人たちはぼくのことを「じゅんぼくさん」って呼ぶから、どのご家庭のお子さんもぼくを「じゅんぼくさん〜」って呼んでくれてかわいい。「じゅんぼくさん、次はいつマイクラできますか?」とちょいちょい聞かれる。かわいい。日本中のいろんな地域に小さくて偉大な友人たちがいる。
今月、コミュニティ内で「クリスマスパーティ」をやろうってことになって準備を進めているところ。発案者は小学生で、それを受けてぼくを含むコミュニティ・メンバーズが「よっしゃ、やったろ!」と流れに乗った形。企画のひとつに「◯✕クイズ大会」があって、参加予定の各家庭のお子さんにも出題してもらおうと思って協力を呼びかけている。かわいいクイズが着々と集まってきていてニコニコしているところ。いっしょうけんめいに考えたクイズに日本中のお友だちが回答してくれるって、どんな気分になるんだろうね?当日が楽しみなので引き続き準備をがんばっていく。
ちょっと前に、ふたつのご家庭のお子さん間でトラブルがあって、親同士で解決に向けて動く中で「自分の子のことになるとフラットに考えるのがむつかしいから、中立な立場として juneboku さんにも入ってほしい」と声かけがあり、自分で役に立てることがあるなら〜と思って会話に混ぜてもらった。貴重な体験である。
結果、双方の家庭のみなさんがすばらしい動きをして、いい感じの着地に至った。ぼくはところどころで関わらせてもらって、小学生を相手にヒアリングする担当をやったりした。学ぶことの多い機会だ。そして、ここでも小学生時代の自分の影がちらつく。
これもしばらく忘れていたことなんだけれど、小学生のときの自分といえば、心の弱さからくる「とっさの嘘」を吐き出しちゃうタイプだったな〜と。自分の立場が悪くなりそうな状況では心の奥から黒い感情がわいてきて、責任逃れのムーブを繰り出そうとする。今の自分は理性のレイヤーでそれをハンドリングして「いやいや、ここで嘘をついちゃダメでしょ」と言動を整えてはいるが、そうだった、反射的にわきあがってくる取り繕う衝動は今でも自分の中にあるんだよな。ハンドリングがうまくなっただけで、心のきれいな人間に生まれ変われたわけではないのだ。完全に忘れることはないかもだけど、思い出さなくなっていたな〜と気付く。余裕がなくなれば自分の中のこういう危うい部分が表面化するだろうから、忘れずに向き合っていきたい。
それを思えば、今回、トラブルの中にいた小学生たちの言動には勇気をもらった。「当時の自分なら、ここで逃げ出しそう…」という場面で、彼女ら彼らは、そんなちっぽけなぼくのゴーストをこえてきた。小さな体に大きな力が宿っている。
さてさて。こんな調子で、今年は「小学生のころの自分」と再会して、今の自分を見つめ直す機会に恵まれていた。なかなかおもしろい機会を得ていると思うので、身近な友人たちともこの体験を共有してみたく、書いてみることにした。
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今年も企画してくれた taizooo さんにも格別の敬意を。年末のすてきなイルミネーションをありがとうございます。